木とともに暮らす日々
信じる強さ
取材・執筆/それからデザイン 写真/杉能信介・坂井公秋
埼玉県飯能。川沿いのオーガニックカフェを通り過ぎ、少し走っていくと、国道から1本離れたところ、やや高くなっている場所に、凛とたたずむ片流れの屋根の家が見えてきました。
これが、生富邸です。
青々とした飯能の山々を遠くに見て、眼下にはのどかな茶畑が広がる美しい光景。
ここで暮らしているのが、生富 光(ひかる)さん、梨沙(りさ)さんのご夫婦、そして小学5年生のそらちゃんと4年生の勇乃介(ゆうのすけ)くんの4人家族です。
こんにちは、と迎えてくれた、ご主人の光さん。少し恥ずかしそうな勇乃介くんも一緒です。勇乃介くん、お父さんとキャッチボールをしたいのかな、グローブを手にしています。
玄関先には、お姉ちゃんのそらちゃんの一輪車。 そらちゃんの一輪車の腕前は相当なもの。坂道もなんのその自由自在に動き回ります。
そんな家族の風景をそっと見ている、笑顔の奥様、梨沙さん。
風景と、おうちと、ご家族が、ひとつになって溶け込んでいくよう。
北海道出身の光さんと、沖縄出身の梨沙さん。
最北と最南で生まれたお二人は、今、埼玉・飯能で暮らしています。「点」と「点」は、どうやってつながり、「線」になったのでしょうか。まずは、生富家のヒストリーを教えていただきました。
光さんは、航空自衛隊にお勤めです。
「高校卒業してすぐに自衛隊に入りました。大学に行くという選択肢もありましたが、大学入学後のイメージが描けず、受験勉強に打ち込めずにいました。そんなときに、もともと好きだった戦闘機や戦艦の世界はどうだろう、と。特にトップガンにあこがれていたので、飛行機に対する熱意は強く持っていました。そこで、自衛隊を受けてみようかな、と思ったのです」
見事合格した光さん、硫黄島や久米島、千歳などの基地で経験を積み、今は入間基地にお勤めになっています。そして、約10年前、久米島にお勤めの時に出会ったのが、沖縄出身の梨沙さんでした。
「出会ったのは彼女がまだ20歳ぐらいの時でした。年齢が10歳離れていたので、最初は“若い子”っていう扱いをしていたんですけれど、話しているうちに、年齢差を感じさせない、しっかりとした考えを持っている方だなと」
梨沙さんはどうだったんだろう。
「優しい、そしてすごく誠実な人だと感じました。何に対しても。例えば仕事でも、納得がいかないことがあると、上司に意見を言うこともあって。世渡り上手じゃないところがいいなと思いました」
こうして出会い、ご結婚。
光さんはその後、北海道・千歳基地に赴任になります。
梨沙さんはそれまで、実家のある沖縄を出て暮らしたことはなかったそう。
沖縄から北海道へ。ふるさとから遠く離れることに抵抗はなかったのでしょうか。
「正直、全国あちこちで暮らすことになるとは、子どもの頃は全く想像したことがありませんでした。でも、主人と結婚した時に、どこにでも付いていくと決めていました」と梨沙さん。
「結婚の報告を妻のお母さんにさせてもらった時、自衛隊は全国の基地に赴任する可能性がある、という話をしました。すると、お母さんは “全部一緒について行きなさい”と妻に言ってくれたんです」と、光さんが当時のことを教えてくれました。
梨沙さんのお母さんは、娘の選択を信じて背中を押した。その信頼と責任をしっかりと受け取った光さんです。
こうして赴任した千歳基地で、光さんは、大きな経験をしました。
「赴任当初、部下の隊員たちは、誰も僕を信用していませんでした。自分自身、正直、最初は幹部自衛官として階級を振りかざしたような言動をとっていました。でも、それが悪循環を生んでいるとわかってもいて」
空の安全を守るというシビアな仕事に対する大きな責任と、目の前の部下たちとの関係性とに、光さんはとても悩んだそう。
そんな時に思い出したのが、北海道に住む、ご自身のお母さんの姿でした。
「母は、一度人を信頼すると、とことん信じ抜く人。信じている人には家の鍵を渡しちゃうぐらい(笑)。そんな母の影響を受けているのでしょうね。やっぱりまずは、部下を信頼することが大事だと思いました。部下を心から信じて任せる。やること・なすことには一切口を挟まない。責任は取るから、どんどんやってくれ、と。そういうスタイルになっていきました」
千歳から入間基地に異動になった際は、部下の皆さんが、心からの感謝の気持ちをいっぱい伝えてくれた。そこで築いた信頼関係は、今の光さんの支えになっています。
入間基地に赴任後、そらちゃん、勇乃介くんにも恵まれ、自衛隊の官舎暮らしをしていた生富さんご夫妻。子どもが大きくなるにつれて、いろいろと不便なことが出てきました。
「官舎の近くには大きな公園があって良かったのですが、敷地内での子どもの遊びについては制限されていることがどうしても多く、ピアノの練習も音が漏れないようにと気を遣うことがありました」と光さん。
梨沙さんは、「子どもに“静かにしなさい!”ということが増えて、親も子もイライラしてしまって…。これではいけないねと、夫婦でよく話し合っていました」
そこで、「家を建てたい!」という願望がおふたりには出てきたそう。
大手ハウスメーカーから、地元の工務店まで、12~13社のホームページを熟読。これは、と思った会社のモデルハウスを見に行くなど、さっそく動き始めます。
しかし、光さん、なかなか決断ができなかったそう。
「僕は長男なので、いずれは実家のある北海道に戻るべきなのでは、ということが心の奥に引っかかっていました。だから、今家を建てても、結局中古で売ったり、貸したりするかもしれないし…と。そんな事情をハウスメーカーの人に相談したこともありました。でも、“そうは言っても、今が買い時ですよ”と営業されてしまって」
そんな中で、出会ったのがYutakaでした。
「安食社長には“大手のハウスメーカーはこういうことを言っていたけど、Yutakaの家はどうなの?”とかなり率直な質問をさせてもらいました。すごく熱心に答えてくれて。決して大手を否定するわけでもなく、“私たちには、私たちの考えがあります”と。その姿に感情が揺さぶられました」
しかし、光さん。やはり北海道の実家のことが気になります。
「埼玉に家を建てたいということを、北海道で一人暮らしをする母に伝えなければ…でも…と悩みました。安食社長にそんな気持ちを話したところ、“生富さん、北海道のご実家のこと。まずは、そこを解決しましょう! 私たちはその結果を待ちますから”という言葉をもらいました。それが完全に決め手になった瞬間ですね。“この人たちにお願いして家を建てるぞ”っていう」
光さんは、実家・北海道に飛びます。
心を決めて、お母さんに、「埼玉に家を建てたい。航空自衛隊を辞めない限り、実家には戻らない」と伝えたそう。
「母は、“そこまでしっかりと考えて、信頼できる工務店さんもいるのであれば、そうしなさい”と言ってくれました」
光さんのお母さんは、息子の選択を信じ、背中を押してくれたんですね。
帰りの飛行機。海を眼下に見下ろし、晴れやかな顔の光さんの姿が目に浮かぶよう。
こうして生富邸の土地探し・家づくりが始まりました。
そして、まるで運命に導かれるかのように、素晴らしい土地が見つかります。
個性的な渡り廊下のある生富邸。どうして、このような設計になったのでしょう。
「設計については“お任せします”と。でもまさか渡り廊下がある家になるとは思っていませんでした」と光さん。
梨沙さんも「最初見たときはビックリしました。一度、持ち帰らせてもらって…でも、そのままのプランでお願いしよう、と決めました」。
このご夫婦、なんとなんと、設計プランを1回目で決めたそう。
「いろいろと部屋の配置などを見ていくと、渡り廊下に収納がとられていたり、家に帰ってきたときに、気分が切り替えられる場所になったり。デザインだけではなく、機能があるということがわかりました。設計の岩澤さんが悩みに悩んだプランなだけあって、これは、計算され尽くしているなと」
この人ぞ、と思った人は、とことん信じる。これが光さんと梨沙さんなんです。
実際に暮らし始めてからのことも聞いてみよう。
「パッシブソーラーシステムの、“そよ風”。コストがかかることなので、悩みましたが、安食社長に“取り入れたい”とお願いしたところ、ほかの部分でコストの調整を提案してくれて、導入することができました。暑い日でも家の中はからっとしていて、過ごしやすい。頑張って取り入れてよかったな、と思っています」と光さん。
「子どもたちが本当に自由になりました。家の中も公園の砂場みたいに使って。どんどん外に出て遊んで。“もっと静かに”と注意することももうありません」と梨沙さん。
お子さんにも聞いてみよう。この家のどんなところが好き?
「景色がいいところ」と勇乃介くん。
これから、この住まいでやってみたいことはあるのかな?
「トランポリン!」と即答してくれたのはそらちゃん。おうちの中でのトランポリン! その願いはすぐにでも叶えられそう。
玄関には小さなもみの木。
クリスマスにはかわいらしいイルミネーションが見られることでしょう。
道を下り、ふと振り返るとあったかいオレンジ色に包まれた生富邸。
光さんはいつもこの風景を見てほっとするんだろうなあ。
ここには、信じる気持ちで結ばれた、幸せな家族の暮らしがありました。
(2017/6/4 取材・執筆/それからデザイン)
生富邸 DATA
所在地 | 埼玉県飯能市 |
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お引き渡し日 | 2016年11月 |
家族構成 | 夫婦+子2人 |
こだわりワード | 西川材,渡り廊下,パッシブソーラーシステム「そよ風」 |